奇跡的に愛おしくて美しい12人の旅を終え、
私はひとりニューヨークに向かっていた。
会いたい人に会うためにニューヨーク行きを決めたけれど、
実は、出国前にアポイントが軒並みキャンセルになってしまい、
丸二日間のスケジュールは白紙になっていたのだ。
JFK空港を一歩出ると、粉雪がちらついている。
常春のサンフランシスコが懐かしい。
スーツケースから厚手のコートを引っ張りだす。
空港からブルックリンへ向かうタクシーの中で、
寝不足な頭を叩き起こして、
この滞在の目的を捉え直そうとした。
夜の十時なのになぜか渋滞していて、
赤いバックライトのラインがずっと向こうまで続いている。
黒人のドライバーがsucks…と呟く。
ニューヨークでしか出来ない事。
今の私がニューヨークでやるべき事。
後部座席で、ぼやけた光の列を目で追いながら、考える。
まだあやふやで、はっきりしない。
その夜は泥のように眠って、翌朝、
コーヒーを求めて街を歩いているとき、
インスピレーションが降りてきた。
《自分たちの居場所をつくること》。
ブルックリンの人達はそれを成し遂げている。
そして私達は居場所をつくりたいと思っている。
今の私達には、店舗も、オフィスも、何もない。
シンプルなwebサイトとSNSのアカウントが居場所という事になる。
だから物理的な居場所、概念的な居場所をそろそろ定めなくてはならない。
ブルックリンの住人は、自分たちの居場所をつくり、生活を変えた。
住む場所、食べ物、飲み物、自分たちを取り囲むものに対して、
心地良さを貪欲に求め、選び取るようになった。
そうすると、世界は少しずつ変わり始めた。
それは、政治家になるよりも早道で、
街をデモして練り歩くより効果的でクールな方法だった。
見知らぬ者たち12人でコーヒーの旅に出ちゃうような、
とても物語的で、カオスのような私達の現状。
それが整理され、状況が固定化されてしまう前に。
ブルックリンの街をこの生身の体で感じよう。
そして、居場所について考えよう。
だから、私はただブルックリンの街を歩くことにした。
(つづく)